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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

共同体の乗っ取り その3

前回はオーウェルの「動物農場」を素材に、共同体の乗っ取りの手法について考察し、以下のように分類しました(注1)。
A 敵の存在の強調
B 事実認識の妨害
C 共同体の分断
D 共同体のカルト化

これらはすべてこのブログで言及してきた、承認欲求の強い状態での振る舞いと共通します。
glicine394.hatenablog.com

共同体の乗っ取りは、承認欲求と深い関連があります。
権力の地位にある者の承認欲求がメンバーの承認欲求と共鳴しつつ少しずつ膨らんでいく場合もあれば、承認欲求もコミュニケーション能力も高いサイコパス的素質を持つ者がメンバーの承認欲求を操作しつつ野望を満たしていく場合もあります(注2)。

いずれにせよ共同体の乗っ取りを阻止するには、承認欲求のメカニズムを知ることが役立ちます。
もっともそれは乗っ取りを企む者の承認欲求を分析しろという意味ではありません。必要なのは自分の承認欲求がいかに共鳴するのかを冷静に観察することです。

多くの人は共同体の乗っ取りの有無を、権力を得ようとしている人が悪人かどうかで判断しようとします。あるいは悪人だと糾弾することで乗っ取りを阻止しようとします。

しかしそれは敵か味方かと考えることと同様であり、同じ意見を持つかどうかで共同体を分断することになります。つまり乗っ取る側と相性の良い考え方であり、いつの間にか相手の誘導に乗せられてしまう可能性があります。
また承認欲求のメカニズムを知れば、悪人だという糾弾は相手に燃料を補給する可能性があることも理解できるでしょう。低能だという嘲笑も同様です。

共同体の乗っ取りのプロセスは、共同体のカルト化のプロセスでもあります。
カルト化とは集団が思考放棄して教条主義的な態度をとることに他なりません。
「悟った師が言うことが正しいのだ」でも、「金を多く稼ぐ人ほど偉いのだ」でも、「共同体は良いものだ」でも、「偉い人に従っていれば安泰だ」でも、掲げるスローガンの内容は何であれ同じことです。
まず信じるべき結論あり、それを指針として集団が同じ方向に歩みます。それに疑問を投げかける人がいれば、集団で攻撃します。

このブログは政治ブログではないことから、「政治とか権力には全く関心がない、自分が楽しく生きられることが第一だ」と考える人が大多数でしょう。
しかし共同体が乗っ取られカルト化してしまうと、遅かれ早かれ個人に対して「こう振る舞うべきだ」と介入が始まります。できない人間には駄目な人だという呪いもかけられます。
生き辛さは自分をとりまく環境と無関係ではありません。

(注1)この分類には、オーウェルの小説では重要な要素である「共同体メンバーに対する暴力」が欠けているように見えます。敢えて暴力を独立した項目としなかったのは、いくつかの理由があります。
ひとつは例えば敵認定され見せしめのために行われる暴力(A)、真実を探る者の抹消(B)、教育のために強制的手段が必要な劣位の者という認定(CとD)のように、暴力はA~Dに含まれ得るからです。
もうひとつは暴力が明白になる時は既に乗っ取りがかなり進行した状態であり、もはや防ぐ余地がないからです。逆にそれ以前の段階では巧妙に隠されており、暴力をメルクマークにすることで乗っ取りが見えにくくなる可能性があります。

(注2)ここでのコミュニケーション能力は、異なる見解の者と対話する能力という意味ではなく、褒めたり脅したりして相手を意のままに動かす能力という意味です。詳しくはこちらをご覧下さい。
glicine394.hatenablog.com