読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

生存競争と甘え その2

序列

前回からの続きです。
ダーウィンの進化論を、競争に勝ち抜いた者が生き残り子孫を残すことで進化していくことだと理解し、人間も同様だ甘やかすなと結論付ける人は少なくありません。

進化論は(1)個体差が存在すること、(2)環境に適さなかった個体は淘汰される一方で、適した個体は生き残り子孫を残すこと、(3)その結果その遺伝子が次世代に継承されることという自然選択のプロセスによって種が変化するとして、神が生物を完成した形で創造したという従来の説を否定しました。

(1)は個体間の遺伝的性質の違いを指します。例えば鳥が細くて高いくちばしを持つか、太くて低いくちばしを持つかは、生まれながらのものです。「太い方が固い殻を破りやすいから鍛えよう」と個体が努力によって後天的に獲得したのではありません。

次に(2)の環境への適応は、環境の変化が予測不可能であることに留意する必要があります。例えば干ばつの年と降雨量が多い年では、生存に適した個体は異なります。
従って、到達すべき形がはじめから設定されているのではなく、どれが適者かは後付けで判定することになります。

大きな視点からすれば、環境の変化に合わせて生命が適応していく完璧なシステムが自然に備わっていると捉えることができます。しかし一個体の立場からすれば、生き残れるかどうかは運次第ということになります。

以上から進化論の考え方は、皆が一斉にゴールの方向を目指して競争し努力を怠った人間から落伍していくといった考え方とは、正反対のものです。

また進化論では(3)から子孫をいかに多く残すかが進化の鍵となります。
現代において人間が生存競争に勝ち抜く為に設定する目標は高学歴や高収入ですが、低学歴で収入が低い人々である方が子供の数が多い傾向があります。この点でも正反対と言えるでしょう。

それでは人間も個体差と環境によって自然選択がなされているのでしょうか。つまり個人が生き残るのは運次第なのでしょうか。
それとも人間は他の生物とは一線を画する存在なのでしょうか。

(1)人間にも個体差があります。この点は他の生物と同じです。

(2)しかしこの個体差は環境の適応差には直接結びつくわけではありません。人間は個体差を技術によりカバーすることが可能であるためです。
例えば背が低くても脚立で木の実を採ることができます。極端な寒がりでも衣服や暖房のお陰で寒い地方に住むことが可能です。

(3)次世代には遺伝子に加えて、生きるために必要な技術が継承されます。技術は血縁を越えて他者にも広く継承されます。

このように人間の場合は、種の進化よりも技術の進化の方が顕著であるように見えます。
しかし人間が環境をコントロールすることで運命のいたずらから自由になれると考えるのは早計です。疾病、地震や津波などの自然災害、事故など運の善し悪しで生死が決まることは少なくありません。

むしろコントロールを徹底すれば種の存続が脆弱化する可能性すらあります。
例えば将来出生前診断と遺伝子操作で、その時代の人々が健全だと考える個体だけが産まれるようになれば、人間の個体差は減少するでしょう。
そうなると急激な環境の変化が生じた時に、適応できる人間が皆無になるかもしれません。

「何事も努力次第だ」「いや、運任せだ」と極端な二者択一ではなく、その兼ね合いが重要です。
個人の運の善し悪しを無視して競争や努力を強調する人は、自分は向かうべきゴールを知っていると軽信しているのかもしれません。


(注)競争社会の正当化や優生思想と進化論の関係については、こちらの解説が参考になります。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page27.html

はじめての進化論 (講談社現代新書)