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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

生存競争と甘え その1

序列

前々回に尊厳はセーフティネットだと述べました。セーフティネットに関しては「甘やかせば人間は怠惰になるだけだ、死ぬ気で競争してこそ人は最大の力を発揮するものだ」という反論がつきものです。
今回はこの反論に関して掘り下げてみましょう。

そもそも競争とは何でしょう。一般に競争が成立するためにはルールが明確である必要があります。参加者が誰で、どうやって勝ち負けを決めるのかが不明瞭であれば、競争になりません。
いつものようにランニングしていたつもりが、いつの間にかマラソン競技参加者として順位を付けられるということはまず起こり得ないでしょう。

しかし自分では競争する気は毛頭ないのに、他者にライバル認定され面倒な思いをした経験がある人は少なくありません。
頭の中で勝手にライバルとゴールを決めて対抗意識を持ち、勝ったと自慢したり負けたと嫉妬することがあります。これは一人相撲であり、競争とは区別されるべきものです。

そこで生存競争は本当に競争なのかという疑問が生じます。
生存競争と言うからには死ねば負けだという明確なルールが存在するかのようですが、それならば長寿競争になってしまいます。
いかに多くの子孫を残すかの競争が大規模に行われているならば、少子化問題は生じていないはずです。

豊かな生活をする方が勝ちと考えてても、資産は常に変動するものでありいつの時点で測るのか決めなければ意味がありません。本当の億万長者は意外と質素な生活であることも知られています。
幸せな方が勝ちだと考えても、幸福感は日々変動するのに加え、主観的なものであり比較は困難です。

このように、生存競争に共通認識されるルールは存在しません。ということは、勝手に誰かにライバル意識を持つ一人相撲だと考えることが可能です。(注)。

生きることは競争だと考える人が少なくないのは、ライバルに勝つと目標を定めることでやる気を出す、あるいは自分は競争に勝ち抜いたと感じることで自信を持つという効用があるからでしょう。

しかしこの動機のうち後者は注意が必要です。
勝手に誰かをライバル視しておきながら、その相手に競争に負けたと認識させたくなることが少なくありません。所謂マウンティングです。
また、自分が優位だと感じられることを取り上げて、後付けでこれは競争だったのだと解釈して「競争に勝ったすごい俺」と他者を見下すケースも存在します。

たとえ一人相撲であっても、競争だと考えることで緊迫感を得て自分自身の怠惰さを抑えることは可能です。
しかし後付けの競争ならば、自己に対する厳しさは一切関係ありません。むしろ「競争に勝ったすごい俺」と自分が上であるかのように誤解することで、自分に甘く他者には厳しくなる可能性が高いでしょう。

そのひとつの例が白紙領収書問題です。
閣僚が「一般市民は駄目でも、自分達に関しては白紙領収書は問題ない」と考えるならば、それは競争でこの地位まで上り詰めた自分は特別だという甘えに他なりません。

稲田防衛相、菅官房長官が有印私文書偽造、富山市議と同様の「白紙領収書受け取り」が発覚 | BUZZAP!(バザップ!)

(注)動物の世界でも生存競争はあるのだからルールは関係ないと考える人もいるでしょう。これに関しては次回に考察します。