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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

劣等感からの回復

序列

前回は尊厳について述べました。「底が抜けつつある今の日本では、尊厳なんて考えることすら無駄だ」と思う人もいるかもしれません。しかし人には尊厳があるという考え方は、社会がどうであろうとも個人が生きやすさを求める上で役に立ちます。

劣等感を例にして考えてみましょう。
自分はもう七年もピアノを習っているのに、三年しか習っていない妹の方がずっと上手だとすれば、妹に劣等感を感じるのも無理はありません。
親も日頃から姉妹を比較しては妹を褒めているならば尚更です。

多くの人はこのような状況で、「ピアノの腕前」をいつの間にか「人間としての価値」に置き換えてしまいがちです。
そうなると「私は父に似てごついのに、妹は母に似てかわいい」「私は陰気だけど妹は素直で明るい」と妹の方が優れていると思われる点が次々と頭に浮かび、雪玉が坂を転げ落ちながら大きくなるように悲観が拡大します。
そしてついには「自分はだめな人間だ、生きていく価値がない」とまで思い詰めてしまいます。

人間に尊厳があると考えても、劣等感がなくなる訳ではありません。
しかし誰もがOKであるという安心があれば、「ピアノの腕前」に関する劣等感は「人間としての価値」に転化せずそこに留まります。

「下手でもピアノを弾くのは好きだから、まあいいか」、あるいは「下手なのは練習しないからで、それは楽しいと思えないからだ」と自分にとってピアノを続ける意味があるのかを見直すかもしれません。
「自分は普通で、妹が特別に才能があるのかもしれない」と比較することの無意味さに気付くかもしれません。

誰もに生きる価値があると考えることができれば、劣等感が拡大して自己を押しつぶすことを阻止して、小さいうちにやり過ごすことが可能になります。

それでも親が「妹ちゃんは何をしても上手なのに、あんたは不器用で何をしてもダメね、それじゃ将来仕事も続かないしお嫁にも行けないね」などと「お前は駄目な人間だ」という呪いをかけるような状況では、劣等感から回復することは決して容易ではないでしょう。

しかしそのような状況であれば余計に、呪いに潰されないように防御する必要性があります。
それは親の価値観を無意識に取り入れることから脱し、別の考え方が存在することを知ることから始まります。

自分を見下す人と対峙するときに、自尊心では太刀打ちできません。「自分は客観的には価値のない人間で、自己を過大評価しているだけではないか」という疑いが付きまとうためです。

人間一般に生きる価値があると考えることができれば、「そう考えない人は自分の価値を確認するために見下したくなるのだ」と、相手の問題であると理解することで呪いを無効化することが可能になります。