承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

自尊心と尊厳

前回は自尊心について考察しました。
自尊心に似た言葉に尊厳があります。「個人の尊厳」という言葉は、人間は生まれながらに持つ根源的な価値を意味します。

それはすべての人に同等に存在するもので、増えたり減ったりするものではありません。従って「私はあの人よりも尊厳がある」というものではありません。

個人の尊厳とは、社会の底のような概念です。セーフティネットと言い換えてもよいでしょう。

底が抜けた社会では、そこに属する人間の平均的な生存環境は悪化する傾向があります。
例えば最低賃金の法令が存在しなれけば、時給は下落するでしょう。移民推進という切り札がある限り、あまりの安賃金で働く人がいなくなる心配は不要です。

そのような社会は、富が一部の者に集中し長期的には経済が縮小します。また自分がこの社会の一員であるとの感覚が希薄になり、生き残るために手段を選ばない人が増加するために、犯罪をはじめとした社会不安が増大することが予想されます。

尊厳というセーフティネットには、個々の人間の安全を確保することを通して、社会全体の安定を確保する目的があります。(注)

尊厳は社会的法的な理念に過ぎず、自尊心のような心理と同列に語るべきでないと考える人もいるかもしれません。
尊厳は個人の心理とどう関係するのでしょうか。

尊厳というセーフティネットがうまく機能しない社会では、「自分は他人よりはましだ」「自己責任」というキーワードがよく使用されます。

「サービス残業で過労だけれど正社員であるだけ良い方」「不安定な派遣で給料も安いけれど事務職であるだけまし」「ワンオペの飲食店バイトだけど風俗で働くよりはまし」
もっと下があると考えることで自分の状態は悪くないと信じようとする心理は、自分はOKであると信じたいという承認欲求に通じるものです。

下を見て自分の状態は悪くないと安堵するとき、いつの間にか隷属させる側の論理を取り入れてしまいがちです。他者の過酷な状態はその人の自己責任であると捉えるのもその一つです。
餓死しても「競争社会で負けたのだから仕方ないよね」、奴隷労働も「それだけの価値しかない人だから仕方がないよね」、いじめられても「コミュ力を鍛えてなかったから仕方ないよね」と、すべて自己責任として片付けられる可能性があります。

自尊心と尊厳の違いは、尊いのは「自分」か「人間一般」かにあります。前者は自分が合格ラインに達しているかを気にするのに対し、後者は誰もがOKであるということです。誰もがOKならば、もはや自分に生きる価値があるかどうかを気にする必要はありません。

自尊心がしばしば「俺をバカにするな」と上昇志向に火をつけるのに対し、尊厳という考え方には心を穏やかにする効果があります。それは存在に価値があると認めてくれるからではなく、対象が個人ではなく人間全般であるためです。
多くの人は、自分という個人がテストされているような感覚に疲れ果てているのです。

他方で「人間全般なんて退屈だ、自分だけが尊いから気持ちが良いのだ」と感じる人も多数存在します。他者と比較しなければ自己の存在を確認しづらい理由は、過去に考察しました。
glicine394.hatenablog.com

(注)回復の見込みがない終末期の病人が自分の意志で死を選ぶことは尊厳死と呼ばれます。しかし尊厳という言葉とは逆の価値観である「いっそ苦しむ前に死なせてやろう、どうせ生きていても意味のない人だし」「お荷物になる人は早く死んでほしい」という思惑が混入していることがあるため、注意深く検証する必要があります。


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