承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

健全な承認欲求?

健全な承認欲求もあるのだ、承認欲求を悪いものだと見做すことは誤りだという意見を耳にすることがあります。
今回は健全な承認欲求はあるのかについて考察します。

健全な承認欲求があると考える人はほぼ皆揃ってマズローの心理学を挙げます。
マズローの欲求5段階説として知られているモデルでは、承認欲求は生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求(所属と愛の欲求)の上に来るものです。その上には自己実現の欲求があり、それらを越えた人は自己超越者であると位置付けられます。

私は正直なところ、このモデルが理解不能です。
食物や庇護を得るために集団への帰属を求めるケースが多いことを考えれば、なぜ生理的欲求と所属の欲求が別なのか理解できません。
また下位の欲求を満たされずとも楽しみや充実を得ることは十分可能です。売れない芸人や俳優には食うや食わずの状態でも芸の上達を生き甲斐として精進する人は多いでしょう。

このモデルが何の役に立つのかも分かりません。
裕福な家に生まれれば第四段階まではわりと楽にクリアできる一方、貧困状態の人間には絶望感しか与えないように思えます。

更に「自分はこちらで、あの人はあの段階だ」と他者を序列付けする材料になる危険性を感じます。
それは人が置かれた環境によって精神状態が変化するのではなく、ゲームのようにステージをクリアして行く成長モデルであるためです。

以上の理由から、マズローの欲求5段階説を根拠に健全な承認欲求はあるのだという主張には、私は納得することができません。

次に、承認欲求を否定すれば表現活動は萎縮するということを理由に、健全な承認欲求もあると考える意見も存在します。
この点はどう考えればよいのでしょうか。

承認欲求は「私」に重点を置きます。
「俺ってすごいだろ?」「私はイケてるよね?」ということと、「漫画を描いたよ、自分では面白いと思うので是非読んでね」ということには決定的な違いがあります。

残念ながらこの点を混乱している人は決して少なくありません。そのため他者の作品を紹介するのはOKなのに、自分の作品を宣伝すれば承認欲求の強い人であると認定されることがあります。それを恐れてSNSで自分に関する話題を躊躇する人もいるでしょう。

この問題を解決するには、健全な承認欲求もあると考えるのではなく、「私」に重点を置くものでなければ承認欲求ではないと明確に区別することが重要です。

「私」の濃度が強くなるに従い、表現の内容は注目を得るためのネタにすぎない空疎なもの、感情的な反応を煽るものになります。そのような表現活動は萎縮してもらった方が有難いと思う人も少なくないでしょう。

さて、「健全な承認欲求とは自尊心のことじゃないの?自尊心は大切だよね?」と思う人もいることでしょう。
次回は自尊心について考察します。