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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

インターネットについて

前回まで二回にわたり、知能が高く私利私欲のないはずの人工知能の振る舞いが、承認欲求の高い人と類似する可能性について述べました。考察にあたって、AIの存在目的、閉じたシステム、論理から統計処理への重心移行という三点に注目しました。

この三点はインターネットの考察にも有効です。
インターネットに期待されたのは、開いたシステムである点です。マスコミと異なり、誰もが情報を発信することが可能です。そのために様々な立場からの情報や意見が集まり、山積する問題により良く対処できるようになると考えられました。
しかし今ではインターネットから真実を探ることは容易でないことに多くの人が気付いています。

現在も余震が続く熊本の震災について現地の様子を詳しく知ることはなかなか容易ではありません。
情報はたくさんあるようで、その多くは重複しています。
吟味せずにただ信じたい情報が拡散されるために、多くの人が言っているから真実だという推測も成り立ちません。

匿名掲示板では、被災者以外の人間が感情的に誰かを罵倒する書き込みをくぐり抜けながら有益な情報を探さなければなりません。
SNSは、以前から繋がりがなければ現地在住の人になかなか辿りつけません。

具体的な地名で検索して個人ブログをいくつも巡回することは、現状を知る一つの方法です。しかしタレントの井上晴美さんのブログが叩かれたことで、泣き言は自粛して前向きなことを書かねばというプレッシャーが今後生じるのかもしれません。更に震災ではネットの接続自体が困難でブログをアップできる人は限られています。

前回AIのフレーム問題について述べました。ある要素を枠外と判断すれば想定外の事態が生じ、あらゆる要素を関係あるかどうか検証しようとすれば肝心の目的達成に行きつかないというジレンマです。
インターネットで不要な情報を振り分けることは決して容易ではありません。検索機能はこのためにあるはずが、統計処理をベースにしていることがネックになり、上位に来るのは公式見解系と煽り系で、編集されていない当事者の証言に短時間で辿り着くことは困難です。

インターネットの存在目的は何でしょうか。
「インターネットで人々が真実に目覚めて○○革命」と騒がれた時期もありました。人々はネットのおかげで賢くなっているのでしょうか、それともうまく心理操作されてますます衆愚化しているのでしょうか。今のところ二極化しつつあるように見えます。

問題はこの二極がうまく住み分けできないことです。下手に住み分けようとすれば閉じたシステムになり、上から目線で他者を論評するマスコミや評論家の轍を踏みかねません。しかし住み分けなければ、話が通じない人ばかりでうんざりして発信を止める人は今後増加するかもしれません。

インターネットは役に立たないからマスコミの情報に頼るべきと考える人はもはやごく少数でしょう。
今回の震災でもマスメディアは熊本市や益城町の情報に集中しており、一番詳しい現地の新聞のサイトでもその他の地域の情報は限られています。テレビ番組の多くはセンセーショナルに煽ったり、感動する話にしたりという脚色が顕著です。

インターネットがもはや必要不可欠であるように、AIも将来的には必要不可欠のツールになるでしょう。良いものか悪いものかを議論するのではなく、どのような使い方であれば有益かつ安全かを知る必要があります。そしてそれを知るためには、使う側である人間についてもっと良く知る必要があるでしょう。