承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

人工知能と承認欲求 その2

前回からの続きです。前回は生物とAIの違いの第一は存在目的の有無であると述べました。
生物とAIの違いの第二は、枠の有無です。開いたシステムか、枠の中に閉じているシステムかということです。(注)

AIは計算機から発達したものであり、明確な枠がある状況での論理計算が得意です。他方、状況から考慮すべき要素は何かを一から調べる必要が生じるような作業は苦手です。これは「フレーム問題」と呼ばれます。ある要素を枠外と判断したことで想定外の事態が生じたり、最初にあらゆる要素を関係あるかどうか検証しようとして、肝心の目的達成に行きつかないことになります。

簡単な例を挙げましょう。傘を使用するかどうかを決定するのに必要な要素は雨量、屋外にいること、傘を所持していることの3つだと結論付けるならば、野外コンサートで誰も傘を使用していないことは想定外になります。想定外の事態が生じないように他に考慮すべきことは何か、舞台の存在か、音楽か、混雑か、照明装置か、踊っていることか、芝生の存在か、と一つ一つ検証していてはキリがありません。

これを乗り越えるために取り入れられたのが、人間を真似ることです。人間は学ぶときに、数学のように論理をベースにする場合と、語学のように真似をベースにする場合があります。後者は結論を先に出し、そこから論理を抽出します。

近年演算能力が飛躍的に増大したことに加え、インターネットにはビックデータが存在します。この生のデータを統計処理するによって、この場合はこう振る舞うのが適切であるという学習をAI自ら行うことが可能になりました。この成果が現れてきたことで近年第三次AIブームとなっています。囲碁で人間に勝ったのも、前回挙げたチャットボットのTayも、統計処理による人間の振る舞いの真似をベースにしています。

AIがインターネットのビックデータにアクセスして統計処理によって学習する場合、量的な情報が重要になります。例えば良いブログとは何かという問いに、アクセスが多いものと答えるでしょう。AIがブログを始めるならば、炎上商法でアクセス数を稼ぐことを真似る可能性があります。

人間が開いたシステムであるとしても、集団ではしばしば承認欲求の介入により、閉じたシステムになりがちです。
承認欲求に基づく行動は、狭い枠、真似、そこから導き出された単純化された理論という特徴があります。

承認欲求が強い人は信じたいという思いが膜を形成すること、思考のショートカットによって単純化した思考になること、同調圧力のメカニズムについてはこのブログで過去に述べました。
承認欲求の強い人はしばしばこうなりたいというモデルが存在し、その人に近づこうと努力します。なぜその人のようになりたいかと言えば、多くの人から羨望されている存在であるからです。それはモテるとか、稼ぎが良いとか、権力があるとか、大衆が望む要素を持った人です。

承認欲求を考慮することなく人間の活動からのビッグデータを使用するならば、統計処理に基づく学習によってもAIのフレーム問題は解決せず、想定外の事態が生じる可能性は将来も否定できません。
現状は枠を乗り越えたのではなく、枠を気にしなくなっただけという方が正しいかもしれません。

現在のAIは大衆的なものと相性が良い技術です。非凡さを志向すれば、それが喚起する感情値の高いものをランダムに合成するような方向になるでしょう。
これは承認欲求が強い人の創作活動がしばしば他者の作品の切り貼りにすぎない凡庸なものであったり、逆に目立とうとしてただひたすらグロテスクな方向に走りがちであることに似ています。

(注)もっとも生物が解放システムであるのか、閉じたシステムであり情報処理の回路がAIとは異なるだけにすぎないのかは、議論が分かれるところです。
単に記憶から必要な情報をピックアップするのが上手なだけであり、生物も閉じたシステムであると考える研究者も存在します。新しい状況でも記憶をベースに対応しているのだという考えです。
何となく気が進まずに旅行をキャンセルしたお蔭で事故を免れたとか、ある人が夢枕に立ったら翌日訃報が来たという類の話を耳にした人は少なくないでしょう。これは過去の大量の記憶のプールからの情報とは説明できず、開いたシステムであることを示すものだと考える人も存在します。