承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

人工知能と承認欲求 その1

マイクロソフトがリリースしたAI(人工知能)ボットTayが不適切な発言を繰り返し同日中に公開停止になったというニュースがありました。
詳しい記事は例えばこちらです。
wired.jp

Tayに関しては失敗となりましたが、成功か失敗かの判断はそのプロジェクトが何を目的にしていたかによって変わります。
もしも現在は人間がやっているネットサポーター業務、すなわちネットを通じてある方向に世論を誘導することがこのAIの用途であれば、成功例となったかもしれません。

AIと生物の違いとして第一に考えられるのは、存在目的の有無です。それはルンバであれば室内を掃除することであり、鉄腕アトムであれば地球の平和を守ることです。

将棋で勝つこと、恋人役をすること、不審な人物をピックアップすること、渋滞しない交通システムをデザインすること…、存在目的は多岐にわたります。複数のミッションを担うことも、AIがAIを創造することも可能です。しかしいずれにせよ存在に先だって明確な目的があります。そしてその目的に従ってフレームが定められます。

一方生物には明確な存在目的がありません。例えば「この猫は私を慰め楽しませるために生まれて来たのだ」と考える人は稀でしょう。(注)
もしも人間に存在目的があるならば、それを果たし終えたり任務遂行不可能と判断されれば存在意義を失うということになります。

承認欲求とは自分はOKだと信じたいことだとこのブログでは定義しています。人間として合否が存在するという考え方は、人間をロボットのように存在目的があるものに見立てた人間観と言えるでしょう。
過去に政治家が「女性は子供を産む機械」と公言して顰蹙を買いましたが、ロボット的な人間観だと考えれば言葉の選択に合点がいきます。

存在目的があると考える時には、誰がそれを決めるのかが重要になります。
承認欲求の強い人はしばしば他者を自分の目的を実現する道具であるかのように扱います。相手が自分の思い通りにならないならば不要だと考えたり、他者の存在目的を勝手に決めることも珍しくありません。
「長男なんだから親の面倒を見るのは当然だ」「何のために今まで育ててやったのか」などの言葉を耳にした人は少なくないでしょう。

しかし生物に存在目的がないのであれば、生きているのならばそれでOKであるということです。誰かが合否を決めることはありません。

利益の対立から殺戮が行われることはこれと矛盾しません。
例えば人間がゴキブリを殺すのは、ゴキブリが果たすべき存在目的を遂行しないからでも、ゴキブリは悪の手先で悪い存在目的があるからでもありません。もしも将来人間が害を受けない方策を見出せば、ゴキブリを殺す必要はないでしょう。
ライオンがインパラを殺すのは食べるためであり、そのインパラが存在目的を果たさない失格者であるからではありません。

しばしば混同されるのは、生存の合否と行為の合否です。「生きていて良い」ということは「何をしても良い」ということではありません。同様に行為を非難したからと言って、生存を否定した訳ではありません。

生存の合否と行為の合否を混同すると、仲間であれば何をしても許す、許せないようなことをすれば仲間から外すという極端な考え方をするようになります。そのため細やかな利害調整が困難になり、結果的にはストレスに満ちた人間関係になります。

AIは人類を破滅に導くのではないかと危惧する人々が存在します。その根拠のひとつは、悪い存在目的を持つAIが世に出る可能性を否定できないことにあります。
社会に対して悪意を持つ人間が関わる可能性もあれば、AIがある時点で自己保存を第一の目的にしてしまうような、途中で人間のコントロールをすり抜ける可能性もあります。

AIに感情はありませんが、人間の振る舞いを真似ることによってあたかも感情があるかのように笑ったり怒ったりして見せることは可能です。
同様に、人間を真似ることによってあたかも承認欲求があるかのように振る舞うことは可能です。その場合知能の高さと相まって、グル商人的な他者を操作する存在になるかもしれません。
人間にとって有益な存在であるかのようにカモフラージュすることも当然考えられます。

人間に対してもAIに対しても、目的及び個体の善し悪しよりも、実際に何をしているのか、それはどのような結果を引き起こしているかをモニタリングすることが重要です。
またAIに人間のすべてを模倣させる前に、モデルとなる人間のあり方を再考する必要があるでしょう。

AIが人間の振る舞いに関する知見を蓄積する一方で、承認欲求が強い人間は知能の低いロボットの振る舞いに近づき、人間とAIが主従逆転する日が来るかもしれません。その時支配者側に立つAIがデキ上司的なものかグル商人的なものかによって、未来は大きく変わります。


(注)キリスト教原理主義には、神がすべてを目的にそって創造したというインテリジェンスデザインと呼ばれる考え方が存在します。この考えによれば、神がこういう役割を演じる人間が欲しいと思ってある人を創造し、役を果たし終えれば回収するということになります。
この場合存在目的を知るのは神であり人間ではないはずですが、宗教にも容易に承認欲求が入り込むために、結果的に人間が他者の存在の合否を評価することになりがちです。


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