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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

自己責任について その2

前回は自己責任という概念が拡大解釈されるときに、しばしば責任と因果関係の混同があることを述べました。
またすぐに「自己責任だ!」といいたくなる原因のひとつは、箱の中の箱という捉え方により自分の属性が非難されているかのように感じることだと述べました。

箱の中の箱という捉え方は「自己責任だ」(俺は関係ないぞ)と突き放す方に働くだけではありません。
例えば昨年のフランスのシャリーエブドー襲撃事件で、すべてのイスラム系移民に連帯責任があるかのような考え方をした人々がいました。事件と無関係なイスラム教徒には、悪意を自分に向けられることを怖れ、自分の宗教の教祖を侮辱された怒りを抑圧して「私はシャリー」というスローガンを手にデモに参加した人も少なくありませんました。

日本でも犯罪が起こると親兄弟にまで非難が及ぶことは少なくありません。そこには家族という箱に連帯責任をとらせようとする考え方が存在することがあります。連帯責任を問われる土台となる箱は家族であったり、所属団体であったり、属性であったりと様々です。

連帯責任だと思い込んで、自分と同じ箱だと考える人に干渉する人も少なくありません。例えば村の盆踊り大会に参加しないなんて私の顔に泥を塗るのかと姑が嫁に文句を言うようなケースです。
他にも連帯責任を問われることを恐れて、個人の犯罪を組織が一体となって隠蔽するケースも存在します。

これらはすべて、責任の概念と範囲が曖昧であることに由来します。
そもそも責任とは何でしょうか。

責任は英語でresponsibilityです。これはresponse応答する+ability能力という言葉の組み合わせです。(注)
「それは私の責任です」というのは、「その対応は私が引き受けます」ということです。クレームで「責任者を出せ」と言うのは「この問題の解決を担当するのは誰ですか」というのが本来の意味です。

バレーボールを想像して下さい。責任感に欠ける人は自分の守備範囲に来たボールを知らんふりして他者に任せ、責任感の強い人は自分の守備範囲以上のボールを受けようとします。しかしコートにいない人に身内だからとボールを打ち返すことを要求するのは無理です。

責任は法的責任と道理的責任に分類されます。
前者は法律によって、誰が、どう応答すべきかが明確にされています。例えば他人の物を壊した人は、損害を賠償しなければなりません。株主の有限責任とは、例えば企業に返済不能な借金が発覚しても、持株が紙切れになるかもしれないのみで、株主が応える必要はないということです。
刑事事件で責任能力なしと判断されるのは「この人のこの状態ではきちんと応答するのは無理だった」ということです。

一方道義的責任は、法律で明示されていないけれど、その人はこの課題に応答することが可能であるということです。ということは、道義的責任を問う方は少なくとも「あなたはこう応答すべきだった」と明示する必要があるでしょう。
本人はそうすべきだったと思っていない可能性や、それを行うのは無理であった可能性も捨て切れません。「こう振る舞うべき」というのはその根拠が明確でなければ、同調圧力になる恐れを孕んでいます。

自己責任とは「自分で応答できたよね?」ということです。他者への責任転嫁が存在する状況で使われるのが本来の使い方だと前回述べたのは、この意味です。

犯罪に巻き込まれることを被害者の自己責任だと言い難いのは、多くの場合被害者の振る舞いで犯罪を未然に防止できないことからも明白です。例えば電車に乗る時は鎧を着て自衛しても、痴漢は他の女性を狙うだけであり犯罪の抑止にはなりません。

箱の中の箱という捉え方により自分の属性が非難されているかのように感じる他にも、すぐに「自己責任だ!」と言いたくなる原因はあります。それは「努力しなかった人間の自業自得だ」という思いです。

これに関してはまず、努力すれば問題は解決できるのかという疑問が生じます。

例えば貧困について自己責任だと言う人は少なくありません。
しかしそれぞれのケースを委細に検討すれば、病気や親の介護、会社の倒産、再就職の困難など、努力してもどうにもならなかった場合が多く存在します。
一方憲法は国民が健康で文化的な生活を営む最低限度の生活を営む権利を保障しています。これは国には国民に最低限度の生活を保障する義務があるということです。つまり法的責任は第一に国や地方公共団体にあります。
とすれば、その人はどのような努力をすべきだったのかを具体的に明示することなく自己責任として片付けることはあまりに安易でしょう。

更に、ある人が努力して貧困から抜け出したとしても、他の人にシワ寄せが来る場合があります。例えばネットワークビジネスで成功して貧困から抜け出しても、それは騙されたり無理に買わされた友人らの犠牲の上に成り立つものかもしれません。

次回は努力することイコール善なのかについて考えます。


(注)近年アカウンタビリティaccountabilityという言葉もよく耳にします。一般的に説明責任と訳されています。accountの語源はラテン語のcomputareで、これからコンピューターという言葉が派生したことからも分かるように、計算するという意味です。社会で一番重要な計算は金銭に関するものです。つまりアカウンタビリティは会計について説明する能力というのが本来の意味です。そこから、会社の業績について株主に説明する責任、生じた結果について説明する責任と意味が広がったと考えられます。