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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

アイデンティティとは何か その2

アイデンティティ

アイデンティティという言葉は個人だけではなく集団にも使用されます。

家族のアイデンティティについて考えてみましょう。

夫婦や親子の関係は年を重ねるにつれ変化します。子供が生まれたり、独立したりとメンバーの変更もあります。住む家の引っ越しもあります。例えば子供の門限や元旦の過ごし方などの家庭のルールも、時代と状況に合わせて変化するものです。

当たり前だと思って意識しなかったことが、他所の家族は違うと知って驚いた経験がある人は多いでしょう。
それは例えば父親が癇癪を起こさないように気を遣うとか、お互いが丁寧な言葉遣いをするとか、冗談で笑いを取るとかいった、家庭の雰囲気に関することです。あるいは例えば食事の時にはテレビを消すとか、門限のような家庭のルールに関すること、とんかつに添えられたキャベツに何をかけるかといった些細な習慣にかかわることもあるでしょう。

このような細かい習慣やきまりやそれぞれのメンバーの記憶や雰囲気が、前回の携帯電話の喩えで述べたデータに該当します。それらのデータの集積が、家族のアイデンティティと呼ばれるものです。

世間ではアイデンティティはしばしば守られるべきもの、大切にされるべきものとして語られます。集団のアイデンティティを守るとはどういう意味でしょうか。

アイデンティティがデータの集積であり、データ自体は変化するものだとすれば、変化を拒否することは決して容易ではありません。
「村のアイデンティティを守れ」と言う時に、例えばアメリカのアーミッシュのように、時代のテクノロジーを拒否してでも昔ながらの生活様式を固守する覚悟があることは稀でしょう。
しかし町との統合や廃村で村が消えてしまうことから守れという意味で使用されているとも限りません。

集団に関してアイデンティティという言葉が使用される時には、しばしば所属の意識が見え隠れします。
「村のアイデンティティを守れ」というのは「これまで通り俺の居心地の良い村を維持しろ」という意味である可能性があります。「日本のアイデンティティを誇りにする」というのは「私達の国ってすごいよね?」という意味でしょう。「君のやり方はこの会社のアイデンティティにそぐわないよ」というのは「この会社に所属していたければおとなしくしておけ」という脅しかもしれません。

箱の中の箱モデルについてはこれまで何度も言及しました。承認欲求が強い人は、みんなという大箱の中にいくつもの箱が並んでいるかのような世界の認識の仕方をします。そしてしばしば「箱を丸ごと受容できないならば、箱から出ていけ」と他者に同調圧力をかけます。
アイデンティティという言葉が自分たちが所属する小箱を指しているとすれば、上述のような台詞は理解可能です。

ここで注意すべきは、箱は物理的なものとアイデンティティの二重になっていることです。
例えば3年2組の箱の中に「3年2組のアイデンティティ」というもうひとつ箱があり、いじめられて学校に来れない人やクラスで浮いている人はその箱の外に追い出されています。
同様に村の箱の中に村のアイデンティティの箱があるために、村八分の人は村に住んでいながら箱の外に追放可能です。

箱の中の箱モデルは承認欲求と関係します。自分はだめな人間かもしれないという思いに向き合うことを避けるために、仲間に認められて箱の中に居る自分はOKだと信じようとします。また自分が所属している箱は素晴らしいと思い込もうとします。更に箱の中で高い評価を得ようとします。

もしも誰もが偶然どこかに所属できるのであれば、自分がそこに所属することは自分に価値があることを意味しません。箱からこぼれ落ちる人が存在すれば「あいつはだめな奴で、自分はOKだ」と信じることが可能になります。あるいは所属する集団を特別視することで、その一員である自分は偉いと信じようとします。
これが集団のアイデンティティという概念が重要になる理由です。

しかし集団のアイデンティティに重きを置けば置くほど、自分をそれに合わせようとする努力によって個性が消失します。生身の感覚にチューニングすることを遠ざけることや、信じるふりをしたり信じようとすることについて過去に考察しました。集団の部品になってしまえば、集団の中にあってはじめて価値を見出します。そのために集団から追放されたり、集団が解消してしまうことは恐怖になります。


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