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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

アイデンティティとは何か その1

アイデンティティ

前回狂信について、アイデンティティが鍵であることを考察しました。アイデンティティについて整理しておきましょう。

アイデンティティは広義には同一性、一致を意味します。例えばアイデンティティカードは身分証明書のことですが、これは同一人物であることを識別するためのものです。

この言葉には二つの視点があります。
1 他との区別
「みかんじゃないよりんごだよ」「島根県民じゃないよ鳥取県民だよ」「派遣じゃなくて正社員だ」
2 変化しないものの存在
「腐っても鯛よ」「平安時代だろうと江戸時代だろうと日本だよ」「学生時代も定年後の今も僕は僕だ」
この二つが合体したもの、つまり他と区別できて時を超えても変わらない本質のようなものが狭義のアイデンティティです。

人間について考えましょう。
「私は他者と明確に区別されて、年を重ねて変化しても私であり続ける」という考えは、当然のこととして受け入れられています。
しかし本当にそれほど明確なものでしょうか。

まず1に関して、私たちの大多数は皮膚によって外と区分されています。しかし胎児や妊婦、あるいは結合双生児などの場合はそうではありません。
2に関しても、細胞は入れ替わり、顔貌は変化します。90才のあなたは5才の時のあなたよりも近所の老人により似ているでしょう。

とすれば、アイデンティティと言う概念を持ち出すのは肉体について語っている時ではありません。現在はアイデンティティを自己同一性と訳されますが、当初は自我同一性と訳されていたのもそのためです。

肉体ではない「私」は確実に存在するものでしょうか。いつ始まりいつ終わるものでしょうか。

A それを魂のことだと考える人々が存在します。転生や天国などの死後の世界を認める世界観では、私は死後も存続するかのようです。

B 生まれたときから死ぬまでの間だけのものだと考える人々も存在します。私という意識は肉体から派生して二人三脚をしている精神のことだという理解です。

C 無我だと考える人びとも存在します。肉体という枠の中でデータが生じたり消えたりを繰り返すだけであり、「私」という実在が肉体の中に宿っているのではないという理解です。

二つの視点として上述した1を空間を示す縦軸、2を時間を示す横軸とすれば、「私」はAは直線、Bは線分、Cは点の集まりとして表せます。ABCはお互いに相容れない考え方であるかのようです(注1)。

しかし、ABCは捉え方の違いにすぎず、相反するものではないと考えることも可能です。
携帯電話を思い浮かべてみて下さい(注2)。中に小人がいるわけではなく、単なるデータの集積です。使い始めた頃と三年後を比べれば大きな違いがあります。同じ型の携帯を使用していても、私のものとあなたのものは同一ではありません。機械がなければデータは使用不可能ですが、古くなったら買い換えてデータを移すことができます。

ここで、Aについて疑問が生じます。
自分の携帯電話を一代目、二代目と捉える人は少なくないでしょう。買い換えた後に慣れるまでしばらく二台使い続ける人もいます。
「私」が記憶というデータの集積であるならば、それを引き継ぐ先は死後の幽体や生まれ変わった肉体よりも、子孫や弟子といった縁のある別の人間だと考える方が自然です。
そしてそう考えてこそ、集団のアイデンティティという概念が可能になります。

次回は集団のアイデンティティについて考察します。

(注1)他に平面すべてが「私」だという考え方や、平面上にあるのは私のフィギュアであり「私」は外からそれをリモコン操作しているのだという考え方もありますが今回は省略します。

(注2)人間には意識があるのだから、携帯電話に喩えるのはナンセンスだと思われる方もいるかもしれません。意識に関する問題は今回は触れませんが、興味がある方にこちらのビデオをご紹介します。
意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説 - YouTube