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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

おっぱい募金と思考実験

建前と本音 時事

信じることに関わる様々な状態から宗教の話に進む予定でしたが、一旦中断して今回は話題になっているおっぱい募金について述べます。前々回までの建前と本音に関する考察の補完となりますので、未読の方はまずこちらをご覧下さい。

おっぱい募金はエロは地球を救うというキャッチフレーズの下で開催されたイベントの一環で、募金すれば7人のAV女優達のうちひとりのむきだしの乳房を揉むことができるというものです。女優はボランティア参加で、募金はエイズ撲滅のために寄付されます。なお、強く揉むことは禁止されています。イベントは2日間で来場者は7000人を突破しました。
このイベントに批判の声が上がり、反対署名運動が起こったことから大きな議論になりました。

ネット上の議論については例えばこちらこちらをご覧下さい。

論点は以下のように分類できます。
A 公共の場での性の取り扱いはどうあるべきか
B 規制の是非
C チャリティという名目での正当化の是非
D 個人の自由の問題かどうか
E 目的と手段の矛盾の有無
イベント主催者と寄付先が同一であることの是非や女優さんの健康への影響など、他にも論点はありますがここではカットします。

これらの論点はそれぞれ検討される価値があるものです。例えばAはコンビニでのエロ本陳列や映倫規制の是非にも関わる議論です。Dは成人ならば両者が同意していれば他人は介入すべきではないのかという、娘をDV男からの救出することの是非と同じ問題です。

しかしネット上の議論を見ると「またフェミニストが文句を言っているぞ、あいつらから自由を守れ」と捉えている人も多いように感じます。
勝ち負けにこだわった揚げ足取りの多い議論となればネット上の祭として消費されるだけあり、各論点について考える機会を逃してしまいます。

みんなという大箱の中でのフェミニスト対その他という小箱の闘争だと誤認されやすい原因は、この件は性が絡むためです。そこで性を絡めない事例に変えてみましょう。

 ほっぺた募金はいじりは孤独を救うというキャッチフレーズの下で開催されたイベントの一環で、募金すれば7人の男女のアイドルのうちひとりの頬をつねることができるというものです。アイドルはボランティア参加で、募金はいじめ撲滅のために寄付されます。なお、強くつねることは禁止されています。イベントは2日間で来場者は7000人を突破しました。

まずなぜこれが似た事例なのかを解説しましょう。

乳房を揉むという行為は、親密な関係の中で行われる行為ならばお互いに喜びをもたらすもので、他者は「勝手にやってくれ」と思う類のものです。
しかしそうでなければ、揉まれる側は苦痛です。知らない女性の乳房を突然揉めば、男女を問わず痴漢として逮捕されます。そこで同意が重要になります。
単純計算で一日500人に乳房を揉まれることを想像すれば、大勢の女性は苦痛が強いだろうと考えます。そこでたとえ同意があっても異常なことなのではないか、女性は本当に自由意志でボランティアを同意したのかという疑問が生じます。
更に揉む側との非対称性があります。好きな女優の乳房を揉めるなら金を払ってもいいと思うことは容易に理解できます。そこで男性は女性は誰でもそうされることを喜ぶと誤解してしまうのではないかという疑念も生じます。

これを乳房を持たない男性に理解しやすいようにしたのが上の事例です。
頬を軽くつねる行為も、恋人から「浮気したら許さないぞー(ハート)」とつねれれる状況を想定すれば、お互いに喜びをもたらすものと見做すことができます。他者は「勝手にやってくれ」と思うでしょう。
しかしそうでなければつねられる側は苦痛です。見知らぬ他人の頬を突然つねれば逮捕されます。そこで同意が重要になります。
単純計算で一日500人に頬をつねられることを想像すれば、大勢の人は苦痛が強いだろうと思うでしょう。そこでたとえ同意があっても異常なことなのではないか、俳優は本当に自由意志でボランティアを同意したのかという疑問が生じます。
更につねる側は苦痛はありません。好きな俳優をつねることができるならば金を払ってもいいと思うことは容易に理解できます。そこでつねることはよいことだと誤解してしまうのではないかという疑念も生じます。

ではほっぺた募金について上に挙げた各論点を見てみましょう。
論点Aは誰かが大勢にほっぺたをつねられ続ける事実を知るのは苦痛だ、社会的に悪影響をもたらすという批判です。この批判が正しいかどうかの検討は頬をつねるという行為を見ることで得られる利益不利益を考察する必要があります。特に頬をつねられることを喜ぶべきことだと誤解する人が増えるのではないかという点への配慮が重要です。

論点Bは論点Aで社会的悪影響があると結論される場合に、イベントを規制すべきかどうかです。
規制すべきということは公権力に介入を求めることを指します。それには規則や条例の改正が必要でしょう。ヘイトスピーチ規制と同種の問題です。
そうではなく単に「そのイベントに私は嫌悪感を抱く」と表現したいだけの人もいます。行政には動いてほしくないけれど、笑って済ませることはできないと感じる人です。主催者側に良識を求めるために声を上げる人、参加者に「自分の欲望を満足させたかっただけのくせに善行したといい人ぶるな」と言いたい人、誰にも自粛圧力をかける気はないけれど「おかしいよね」と言いたい人もいるでしょう。
この他にたとえ大勢が嫌がることでも意義があるなら続けるべきだと思う人もいるでしょう。
このように論点Bは規制の要否自体はイエスかノーかで答えることはできても、その理由を二極に単純化することはできません。規制反対の人がこのイベント自体を微笑ましいものだと考えているとは限らないことに留意すべきです。

論点Cは目的が正しければ手段は正当化されるのかという問題です。チャリティならばつねっていいのかという問題は、つねるのではなく平手打ちでも同様かと問い直すこともできます。当然本人の同意があることを前提として検討することになります。

論点Dは本人の同意の有効性の問題です。同意が自由意志で行われたかどうかが問題になります。背後に威力の行使やマインドコントロールや同調圧力はないのか、つまりアイドルが主催者に嫌といえない状態だったのではないかを検討する必要があります。ブラック企業のサービス残業と同じ問題です。

論点Eは頬をつねるという行為はいじめ撲滅というイベントの目的と逆方向ではないかという問題です。これについては寄付を除外した上で、他者の頬をつねる行為がいじめ推進となるかを考察することになります。
推進とならなければ寄付がプラスに働くので批判はあたらないことになります。そうでなければいじめ撲滅という目的は建前にすぎないと言えるでしょう。その場合論点Cも再考しなければなりません。

各論点を抱き合わせにしてパッケージを選択する場合とは異なる様々な考え方が存在することに気付くのではないでしょうか。