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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

序列 その4 平等は絵に描いた餅か

序列

「序列はないなんてただのキレイゴトではないか、実際は社会には序列があってみんな下に落ちないように必死で努力しているのだ」このような理屈で序列を受け入れる人が存在します。

キレイゴトとは建前だけで現状はそうではないものという意味です。絵に描いた餅と言いかえてもいいでしょう。
人間の価値に優劣としての秩序はないというのは、キレイゴトではありません。それは社会のお約束です。
なぜなら日本では個人の尊厳、両性の本質的平等、身分制度の禁止などが憲法の条文で明示されています。従って実効性があり、その餅は手に入れることができます。但し黙っていれば誰かが配布してくれるものではありません。

序列が存在するように感じるのは、自己の便宜からそれを求める人が後を絶たないことと、過去に長くそのような社会が存在していたことの影響です。人間は平等であることを前提にした社会は、身分制社会に比べて歴史が浅いものです。そのため私たちの社会には序列を前提とした考え方がまだ多く残存しています。

そこで優位な立場に立つ希望が持てない人の中に「そんな餅は存在しないだろうから欲しがることは愚かだ」と序列を受け入れる人と、「餅を下さい、約束ですよね?」と主張する人に分かれます。

それでは餅に価値があるのでしょうか。なぜ序列から個人の尊厳や平等への流れとなったのでしょうか。
それを考察するにはもう一つの状態を知る必要があります。それは安定した秩序ができる以前の闘争状態です。

戦国時代を想像して下さい。闘争状態では権力をめぐる戦が繰り広げられ混沌としています。そのような状態では人々は安心して生活することは不可能です。
やがて権力闘争を勝ち抜いた者が安定した社会制度を作ります。その社会は明確な序列がある場合がほとんどです。敗者が再び戦いを仕掛けないという保証はなく、トップからの命令支配が行き届いたものである必要があるからです。それが不自由なものであったとしても、人々は以前のカオスの状態よりはましだと歓迎します。

一旦序列が形成されると上の地位に立つ者は「自分がボスだ」という一言で下の者を従わせることができます。これは相手を説得するコミュニケーションを避けることを意味します。
コミュニケーションの省略はしばしば思考の省略に繋がります。自分の顔色を伺うイエスマンに囲まれる環境では予定調和に慣れ緊張は緩み、現実を観察することが疎かになりがちです。

他方序列を受け入れた側は、カオスの記憶がだんだん遠ざかるに従って不満が生じます。序列の下に位置するということは、上に押し付けられたことが不条理であっても従わねばならないということです。何らかの問題が生じた機会にトップへの信頼が崩れると不満は噴出し、やがてこの序列をリセットしたいと願う者が出現します。

反乱の不安を感じるとトップはますます全体主義的傾向を強めます。被害妄想的になり反乱分子になる可能性がある者を大々的に粛清することがあります。また批判を恐れ焚書や知識階級の弾圧など愚民化政策が取られることもあります。

トップが暴走せず冷静さを保つケースでも、序列をリセットしたいと願う分子は外部勢力の力を借りることで反乱を起こす場合があります。

反乱を起こさないように民を締め付けることなしに贅沢を求めれば、必然的に外部から冨を奪う方向に進み、やがて戦争が起こります。

闘争状態、序列支配による安定、再び闘争状態というサイクルは人間の歴史上長く繰り返されてきました。
それを解決する第三の道が啓蒙思想です。個人の尊厳や価値の平等を謳うことにより不満の少ない安定した社会を築こうとします。(※)

以上は国家を例にしましたが、組織や家族においても
A 権力をめぐる闘争状態
B 序列による支配
C 平等なメンバーが役割分担
という三つの状態が存在します。

Cはメンバーの知性と意見を摺り合わせるためのコミュニケーションを必要とします。「ボスは俺だから」と一言で済ますことはできません。地位が上でも誤りを指摘される可能性があります。承認欲求の強い人は、問題点の指摘を自己の否定だと捉えてしまいます。これらの理由から権力の側に立つ者はしばしばBの状態に戻そうとします。そのために序列という過去の制度はいつまでもなごりを留め、Cの状態は未だ実現途上です。

(※)
徳川幕府はBの大変特殊な例で、何世代にもに渡る安定した社会を維持しました。序列に基づいた封建制度でありながらも、序列上位の武士階級は質実剛健が旨とされ、下位の商人の方が経済的に豊かで自由でした。そのため権力者が贅沢のために庶民を締め付けて不満が鬱積するという問題が生じませんでした。更に皆が権力になびくという価値の一元化を免れ、多様な価値観が存在する余地がありました。
このような事情から維新の開国の際の啓蒙思想の導入は西洋の真似という色合いが強く、必要性の認識は乏しかったと言えます。更に外国との競争という新たな環境に置かれたこともあり、大日本帝国憲法の下で全体主義的な秩序を重んじる構造は温存されました。