読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

序列 その3 親子は平等か

今回は人間の優劣としての序列とは何を意味しているのかについて、親子関係を例にして考察します。

親子の立場の違いは人間としての序列ではありません。前回述べたような役割の違いです。
親は子供を養育する義務があります。それは子供の安全を確保すること、必要な身の回りの世話をすること、教育の機会を与えることなど多岐にわたります。
この義務を果たすためには子供に対して強く指導監督する必要が生じることがあります。例えば幼児が熱い鍋に触れようとしたら、力ずくでも阻止する必要があります。中学生の娘が成人した男性と付き合っていることを知れば、相手に会って交際を禁じる必要があるかもしれません。

この子供の養育という役割を人間の優劣としての序列と混同して、子供に対して不必要な権力を振りかざす親が存在します。その程度には必要以上の子供のコントロールから精神的、肉体的な虐待まで、大きな幅があります。

子供が働き始めるまで親子関係は世話をする側とされる側、経済的な支援をする側とされる側と一方向であり、立場の互換性はありません。そのために「親子関係は序列ではないなら平等なのか、そんなはずはない」と感じる人もいるでしょう。
親と子の間に人間としての優劣がないというのは、具体的にどのような関係を意味するのでしょうか。

そもそもなぜ人間の優劣のしての序列について考察しているのかと言えば、それが存在すると感じている人が少なくないからです。
私の定義する承認欲求の定義は自分はOKだと信じたいことです。承認欲求が生じる前提には自分は駄目な人間かもしれないという隠れた不安があります。その不安が生じるのは、人間には優劣があり駄目な人間は存在価値がないと思い込んでいるためです。そして承認欲求の強い人は、「おまえは劣った存在だ」と相手に呪縛をかけることが少なくありません。

親子関係に話を戻します。
40才の夫が「自分は読み書きができるが5才の息子はできない、だから自分の方が上だ」と言うなら、妻は呆れるかもしれません。「自分は5才の頃は読み書きが既に達者だった」と同じ年齢の時点での読み書きの能力を比べるならばともかく、「40才の自分を5才の息子と比べてでも自分はすごいと信じたいのか」と夫の自尊心の低さを感じるでしょう。
そんな人がいるわけがないと思うでしょうか。しかし「自分は働いて金を稼ぐが14才の息子はできない、だから自分の方が上だ」という旨の主張をする父親は少なからず存在します。

自分の方が優れているのだという主張は通常はそこでストップしません。息子に対して「だから自分の言う通りにしろ」という強制や「口ごたえするな」という命令や「俺に立ち向かうとは何様だ」という無力感の惹起に繋がります。
更には「だいたいお前は成績も悪いくせに…」「お前なんて彼女もできないだろうな」などと子供を貶めることで親の優位性を確認することがあります。
これは不必要な権力を振りかざしているのであり、親としての役割の範囲を逸脱するものです。

その結果子供は
親の言う通りにしなければいけない
親に反論してはならない
親の機嫌を損ねてはいけない
自分は劣った人間だ
と学習します。

これを裏返せば、序列ではない健全な親子関係が見えてきます。すなわち
親の言う通りしなくてもよい場合がある
親に反論してもよい
親の機嫌を伺う必要はない
自分は劣った人間ではない
と子供が感じる環境です。

人間に優劣がないとは、誰もが間違える可能性があるということです。これについては象を撫でるという回で考察したことを参照して下さい。
誰もが間違える可能性があるからこそ、選択が必要となった場合にそれぞれの立場から意見を述べ一緒に最善の方法を探すことが必要になります。

例えば息子が高価なゲーム機が欲しいと言い出したケースならば、息子にその理由を自由に主張させた上で父親が「自分は働いて金を稼ぐが14才の息子はできない、だから家計の責任者は親であり、そのゲーム機の購入は必要性がないので購入は却下する」と決断を下すならば、それは平等な親子関係です。

息子は「でもお父さんも必要がない高いカメラを先日買ったじゃないか、去年買ったやつで十分間に合うのに」と食い下がるかもしれません。
それに対して「あれは家計ではなく自分の小遣いで買ったものだから比較できない」なり「カメラは仕事の妨げにならないけれどゲームは勉強の妨げになる」なり「あれも買うべきではなかったと今は後悔してるよ」なり、人間の優劣を持ち出さずとも会話は可能です。

もしも親子関係を序列と捉えると、子供に反論されると論争に勝たなければいけないと感じます。そうなると負けまいとして、息子を貶めるために全く関係ない話題を持ち出すことがあります。
その結果息子は親の言う通りにした方が良いと学ぶかもしれません。しかしそれは親が言うことが正しいからではなく、そうしないと傷つけられる恐れがあるからです。

毒親の問題は機会をあらためて更に考察する予定です。

関連ポスト
象を撫でる - 承認欲求の考察
序列 その2 社会的役割 - 承認欲求の考察