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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

序列 その1 選別のための序列

前回人間に社会的な役割の違いはあっても序列はないと書きました。しかし現実には社会に序列は存在すると感じることが少なくないでしょう。
それは人間の優劣のランク付けとしての序列なのかを数回にわたって詳しく考察してみましょう。

まず頭に浮かぶのは入試や就職活動でしょう。試験や面接で優劣のランクが付けられて選別されます。これは人間の優劣の序列なのでしょうか。

例えば合唱団を作る時にはメンバーの音域を調べて順に並べてからパートを割り当てます。クラス代表のリレーの選手の選別ならば、足が速い順に並べて上位者を選ぶでしょう。
これは人間としての優劣ではなく、選別のために一時的に作成された序列です。目的に応じて比較する要素が決められるので、基準が明白です。

入試や就職試験も同じく、学校や会社の求める人材はどのようなものかに沿って選別されます。それは人間としての優劣とは別です。
例えば田舎の零細企業の募集に高学歴の者が申し込んでも採用されないことは珍しくありません。似たタイプの人間が揃った方が統制が取りやすいとか、上司よりも高学歴だと使い辛いと感じるためでしょう。
入試では逆に学生が多様で刺激し合う環境を構築することを念頭に選別を行うことがあります。

このように選別のための序列と人間の優劣は関係ありません。しかしそれを関連づけて自分の優位性を示そうとすることはしばしば見かけます。

もしも一番高い声が出るから自分は偉いと思うならば、その人は選別のための序列と優劣としての序列を混同しています。その考え方では一番低音が出る人は一番劣った人になってしまうでしょう。そんな誤解は存在しないと思われるかもしれませんが、音域を成績に置き換えると、そのような誤解はありふれたものだと分かるでしょう。

承認欲求とは自分はOKだと信じたい気持ちであるとこのブログでは定義しています。自分はだめな人間ではないかという不安がよぎった時に、自分が重要だと思う価値を持ち出すことで自己肯定し安心を得ようとします。その時にしばしば「自分はこの点においてあの人よりも上だ」と序列が持ち出されます。この場合どの要素を比較の基準とするかは、自分の都合の良いように決められます。

良い成績なのは自分が勉強したからだ、足が早いのは練習したからだという理由から、その結果として選ばれたことは人間として価値が高い証だと感じることもあるでしょう。
しかしいくら努力しても運が悪く結果に結びつかないことがあります。
またそれは成績とか足の早さという要素に、努力という要素を加えたに過ぎません。人間の価値はそれだけで測れるような単純なものではないでしょう。

学歴で優劣を付けたがる人は少なくありません。それはある年齢での限られた科目の成績の良し悪しの基準でしかありません。六十歳の時点で中卒のAさんと大学院卒のBさんがどちらが頭脳明晰であるかは、予測は困難です。