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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

承認欲求がない状態とは

承認欲求はONかOFFかの二項対立ではなく、グラデーションがあります。 現代社会で承認欲求から完全に自由な人は稀な存在です。承認中毒状態になっている人も存在しますが、ほとんどの人は承認欲求が生じている時間よりもそうでない時間の方が多いでしょう。それでは承認欲求がない時にはどのような状態でしょうか。

承認欲求がない状態は以下に分類できます。

1 欲求が満たされている状態
2 自分はだめな人間かもしれないと感じている状態
3 自分を採点していない状態
4 自分を意識していない状態
5 意識がない、あるいは朦朧とした状態 

1は自己承認あるいは他者から承認されている状態です。承認欲求とは自分はOKだと信じたいことですから、そう信じられれば満足し停止します。但し満足は長く持続せず、再び承認を求める状態に後戻りします。

2は程度は様々ですが、自分はだめな人間だと感じて、それを苦しい、辛い、悲しいと落ちこんでいる状態です。だめな人間だという絶望が深いためにそうではないと信じたくても信じることができない場合と、実直であるために自分はOKだと自分自身を欺くことができない場合があります。
2の状態の人は、それが辛いために飲酒やふて寝で5の状態にしようとすることがよくあります。

承認欲求が強い人は、承認を得られないと自分がだめな人間だと落ち込んでしまうという恐怖が無意識に存在します。つまり5でなければ1か2の二者択一状態であるかのように捉えています。

1も2も自意識が強い状態です。自分で自分を採点するために、だめな人間かもしれないという思いが生じます。そこで気分が落ち込んだり、それを否定して承認欲求が生じます。
自意識はONになったりOFFになったり目まぐるしく切り替わります。自意識過剰とはそのスイッチをすぐつける癖があるようなものです。「自分はだめな人間だから死んだ方がましだ」と短絡的に思ってしまうのは、自意識なしに生きる状態の存在を忘れやすいためです。

自意識が介入する要因の一つは、日常の多くの時間を自分を意識せず過ごしているにもかかわらず、そのような状態は心もとない危険なものであるかのように思い込んでいることにあります。

他に自意識が生じる要因となるのは、他者の存在です。例えば夢中で小説を読んでいる時に「そんな難しい本を読んでえらいね」とか「もっと子供らしく外で元気に遊べばいいのに」と言われると、本のストーリーから「読書している自分」に意識が移動します。また過去のそのような体験を重ねると、近くに人がいれば何も言われなくても自分に意識が向き、本に集中できなくなるかもしれません。ひいては誰もいなくても他者を思い浮かべて同じことが生じます。

それでは自意識がない状態、3と4はどんなものでしょうか。

4は対象に意識が向いている状態です。仕事に没頭している時や、身体のどこが一番痛いのか探っている時、熱心に写真を撮っている時などに、意識は対象に向かっていることが多いでしょう。写真撮影では被写体との位置関係を決める上で自分も意識に上がりますが、それは客体としての自分です。

3は客体としての自分ではなく主体としての自分を意識しているけれども、自分を秤にかけていない状態です。善悪や優劣を考えないので、だめな人間かもしれないと思うこともありません。例えばふと「淋しいなあ」と感じる時に、ただそれに気づいている間は3の状態です。

そこで終了する場合もあれば、「どうして淋しいと感じるんだろう」と疑問が生じる場合もあるでしょう。
その時にその疑問に対してあたかも未知の動物を観察するかのように興味深く観察するならば、それは4の状態です。

一方ふと「淋しいなあ」と感じる時に、多くの人は「そう感じるべきじゃない」とか「なんて自分は可哀想なんだろう」と自己に対する評価に向かいます。それは2の状態です。