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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

被害者意識について

承認欲求の発現には「俺ってすごい」という自己陶酔モードと、「私は被害者なんだから悪くない」という被害者モードの二つが存在します。今日は後者について考察します。

すべての被害者意識が承認欲求に関連する訳ではありません。何らかの被害に対して、償いを求めたりこれ以上の被害を防止する行動を取ることは重要です。誰かに話を聞いてもらうことで精神的なショックを和らげることもこれに含まれます。このような被害の主張は必要なもので、承認欲求に基づくものと区別する必要があります。

承認欲求からなる被害者意識とは、「悪いのは○○だ、自分は被害者だから悪くない」というロジックで自分はOKであることを信じようとすることです。悪者にされるのは親や配偶者や上司などの特定の人間の場合もあれば、それ以外、例えば環境や社会や貧乏などの場合もあります。
自分はOKだと信じるのが目的であり、加害者からの賠償や損害の防止は目的ではありません。むしろ被害者である立場が今後も継続することを望むことがあります。相談を受けた人が解決策を提案しても、デモデモダッテとその解決策に耳を傾ける気にならない時には、本当は事態の解決は望んでいない可能性があります。

今更どうしようもない過去を持ち出していつまでも被害者であることを主張することがあります。夫の40年前の浮気を未だに恨んだり、15年前に親に反対されて自分の意に反して進路を変えたせいで給料の低い仕事しかできないという類の話です。
例えば夫を恨む気持ちが長く続いているという場合は、なぜ40年前の浮気を未だに恨むのかを掘り下げて見れば解決策は見出せるかもしれません。当時謝罪がなかったことが許せないのならば現在改めて謝罪を要求すればよいでしょう。子供が独立した今こそ離婚という選択もあります。カウンセリングに通うという手もあります。問題解決を探すことなく「夫に裏切られたかわいそうな私、私が不幸な結婚生活、不幸な人生なのは夫のせいだ」と感じたいだけならば、それは承認欲求に基づくものです。

承認欲求における自己陶酔モードと被害者モードは一見したところ正反対のようですが、自分の優位性を主張する点で全く同じです。被害者モードは加害者は悪で被害者は善、善人は悪人よりも上という優劣の付け方をします。

トラブルの発生や議論において、勝算がないと見るや「あなたの言い方で自分は傷ついた」などと相手に罪悪感を持たせようとすることはしばしば行われます。承認欲求が強い人は問題解決や相互理解よりも勝敗にこだわります。勝つことで自分はOKだと信じるために、承認欲求の二つのモードは必要に応じて使い分けられます。

損害に対して過大な賠償や土下座謝罪を要求するクレーマーは、被害者であることの強調と自分を誇示することという二つのモードを併用したケースです。自己の優位性を形で示せるために満足感が大きく、しかしこの満足は持続せず常習となりやすいために、非常に厄介です。

承認欲求は有か無かの二項対立ではなく、グラデーションがあります。従ってクレーマーのような強烈なものだけではなく、ソフトで他者には害のないものもあります。
例えば「どうして車の免許を取らないの?」という問いを、免許を持っていない自分を批判されたと捉え、「小学校の頃ドッチボールでいじめられて以来運動にトラウマがある、だから運動神経を必要とする免許はとれない」などと大げさにトラウマを持ちだすケースです。
これは自分はだめな人間かもしれないという無意識の不安から、他者の単純な問いかけを自分が評定されているかのように捉えたことが原因です。承認欲求がなければ「昔から運動が苦手で車の運転にも自信がないんだよ」とシンプルに言うことができたでしょう。