読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

3つのキーワード その2「OK」

承認欲求とは何か

今回は「自分」「OK」「信じたい」という承認欲求の3つのキーワードのうち、「OK」です。
人間はこうでなければならないという思い込みを、検証することなしに何となく受け入れている人は少なくありません。社交的でなければならない、働いて自立しなければならない、家庭を持たなければならない、人に迷惑をかけてはいけない、必要とされなければならない、タフでなければならない…、何千、何万の「こうあるべき」が社会に溢れています。

これを受け入れることは、それを達成できれば合格できなければ不合格だと自分自身を採点することに繋がります。そして達成できない自分はだめな人間かもしれないと不安が生じます。
一旦このような思い込みを受け入れてしまうと達成すべき項目は次々と目前に現れ、できないかもしれないという不安から自由になることは困難です。

劣等感、罪悪感、自尊心の欠如、自己不信などの、自分に対してネガティブな感情をまとめて、「自分がだめな人間かもしれない不安」と表現しています。強度もさまざまで、直視したら死にたくなるほど強いものも、自虐ギャクで笑って乗りきれる程度の弱いものも含みます。
承認欲求はこの不安を否定しようとするものです。

ある声を否定しようとするならば、さらに大きな声を出す必要があります。承認欲求が生じると、自分がOKであることを大げさにアピールすることがあります。そのためにその人が優越感、万能感、揺るぎない自信を持っているように見えることがあります。そのような外からは自信満々に見え、そして本人も半ばそう信じている状態で、人はこうあるべきだと主張します。それは単に自分が達成しているものは重要で自分はOKだと理屈づけるために、どこからか拝借してきた根拠のあいまいな主張であることがしばしばです。しかし主張する者の揺るぎない確信に満ちた態度から、何となく真実らしいと他者に受け取られることがあります。

もうひとつの承認欲求の発現モードは、自分を被害者にすることです。自分は被害者だからOKだと主張することは、誰かを悪者に仕立て上げることに繋がります。仕事が忙しくて構ってくれなかった親が悪いとか、助けてくれない友人が悪いとか理由をつけて、他者に罪悪感や劣等感を植え付けます。ここでもこうあるべきだという基準は恣意的で曖昧です。(被害者であることの主張がすべて承認欲求に基づくというわけではありません。正当な被害主張との見分け方については別の機会に詳述します。)

こうして、人間はこうでなければならないという主張は、日々製造され、継承されます。それは根拠が曖昧なもので、環境によっても時代によっても変化します。考慮に値しないものであっても社会で多くの人に支持されれば強い影響を及ぼします。閉じた環境にある場合や、自分はだめな人間かもしれないという不安が既に強い場合には、たった一人の言葉であっても強く影響することがあります。

Aであるべきだという思い込みが棘のように刺さり、その痛みを否定するために、人間はBであるべきだ、自分はそれを満たすからOKだ、と考えるのが承認欲求のプロセスです。痛みの原因となったAのことは全く無視する場合と、AはBほど重要ではないと格下げする場合、AイコールBの場合があります。最後のケースは自分はA(B)だと自己を偽ることですが、この偽装は長く続けることは困難です。どのケースもAと正面から対峙しないためにその棘を抜くことができません。いずれにせよ承認欲求をいくら満たされてもそれは一時的効果しかなく、本当に心から満足することは困難です。