承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

つながるということ

前回ウロロボスの蛇のイラストは尾を食べているとして話を進めました。これに違和感を感じた方もいるでしょう。

本来のウロロボスは尾を咥えているものです。始めと終わりが繋がり円環を形作ることから、終わることなき循環と、完結しており欠けるものがない状態を意味するシンボルだと考えられています。蛇が一匹ではなく二匹のバージョンでは陰陽的な意味が付加され、太極図と限りなく近くなります。

従って頭が尾を食べる状態は、本来の意味とは全く逆です。本来繋がっているものを分離していると誤解して攻撃することにより、自らを弱体化させて終わりを迎えます。

分離の誤解が生じるのは、繋がっているという状態とは親交があるとか同じ集団に属していることであると理解しているためです。

どこかに所属しなければ自分は孤立すると考える人は少なくありません。
加えて、人は孤立すべきではない、孤立すれば悪いことが起こるという思い込みがあれば、誰彼構わず親しくなろうとしたり、集団に同調しようと努力することになります。またひとりでポツンとしていることを気付かれるのは恥だと感じます。

しかし、人はもともと孤立した状態であり、繋がるためには何らかの行動が必要なのでしょうか。繋がるとは他者と会話することや同じ集団に所属することを意味するのでしょうか。

自分は今何を感じているのかを観察すれば、どこまでが自分でどこからが他者の影響であるかを区別することは、困難であることに気付きます。自分の中には他者の痕跡が含まれています。

たとえ無人島に一人で渡って暮らしたとしても、ふと幼い頃の親との会話を思い出したり、過去に流行した歌を口づさんだり、今頃あの人はどうしているだろうと思いを馳せることになるでしょう。

更に、他者とは人間のみを意味するものではありません。雲が流れ去り陽が差せば気分は変わります。足元に咲いている花を見て、張り詰めていた気持ちがふと緩むこともあります。

「人は誰しも一人でこの世に生まれ、一人で死んで行く」という台詞をよく耳にしますが、他者なしに生まれることはありません。そして死ぬときにはおそらく誰かのことを想うでしょう。

私たちは、常に他者から影響を受け続けています。逆に自分が他者に影響を与えることもあるでしょう。
すべてを裁ち切って孤立することは不可能です。

自分は世界と否応なしに繋がっていると気付けば、ともかく誰かと繋がりたいという気持ちからは一歩前進します。
良い影響を与えてくれるものに近づき、悪い影響を与えるものは遠ざけることが重要だと感じるでしょう。

ところが何が良くて何が悪い影響かを見分けることは容易ではありません。

次回に続きます。

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生存競争と甘え その3

個人の運の善し悪しを無視して競争や努力を強調する人は、自分は向かうべきゴールを知っていると軽信しているのかもしれないと前回述べました。
「生存競争なのだから甘えるな」という見解を持つ人の多くは、とりあえず金があれば生き残れる確率が高いと考えます。

そう考える人が指導者的な立場にあれば、しばしば「甘やかせると本人の為に良くない」「若い時に苦労した方が良い」などの言い回しで、あたかも相手のことを考えているかのようなポーズをとります。
それは甘やかせること自体が悪であると主張しているかのように見えます。しかし実際は自分の身内にはひたすら甘いことは珍しくありません。(注)

生真面目な人ほど甘えは悪だと額面通りに受け取り、「自分はまだまだ辛抱が足りないのかもしれない」「この程度で助けを求めることは甘えているのかもしれない」と考えがちです。
その結果、過労や鬱により労働が不可能な状態まで追い込まれる人も少なくありません。
また、ギリギリの状態で努力する人が多ければ多いほど、そうすることが当然であるかのような空気が広がり、甘えは悪であるという考えが社会で強化されます。

そうなると子供の貧困のケースでも、必死の努力をしていない親の方に注目が集まり、子供の救済よりも親の非難にエネルギーが注がれます。その結果子供の格差は更に広がり、子供本人の努力では回復不可能なものとなります。
競争という言葉を使いながらも、実際には勝負が最初から決まっていて競争の余地がない階級社会に徐々に移行する可能性も否定できません。

しかしもう一度立ち返って考えてみましょう。人は本当に金があれば生き残れる確率は上がるのでしょうか。
そのヒントはウロロボスの蛇にあります。
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蛇が人間社会を表すと考えれば、頭に近い部分であるほど生き残る確率が増えます。つまり金を蓄えて序列の上へ位置した方が安全であると考えることができます。

マネーは便利なものであり、個人の役に立ちます。これは以前考察しました。
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しかし金を蓄えることを唯一の価値として他を切り捨ててしまうと、自分の体も見境なく喰い散らかす蛇の頭部のような状態となり、やがては自死に至る可能性があります。

「今だけ、金だけ、自分だけ」の強欲資本主義社会を仕方がないものだと肯定して、その中で喰われないようにうまく立ち回ろうとすれば、「貧乏人が犠牲になるのは自己責任」と突き放すことになるでしょう。
それは尻尾を自分とは無関係なものだと信じようとすることです。

頭から尻尾まで繋がっていることに気付けば、どうしてこんなことになってしまったのかとシステムエラーに目を向けることになります。
これば言い換えれば、繋がっていることから目をそむけるところに問題の根があるということです。

承認欲求が膜を張って見たくないものを遮断することや、箱の中の箱と振りわけることで壁を作ることは過去に考察した通りです。
マネーを本来の役割に戻すには、承認欲求を深く知ることが役に立ちます。
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(注)甘えを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは、自分がその対象に甘えられることを望むか否かに左右されます。そこには対象への好意や自分に余裕があるかといった要素が関係します。
例えば道で見知らぬ猫が足元に擦り寄って甘えて来た時に、猫好きの人は嬉しいと感じ、猫が苦手な人は嫌だと感じます。たとえ大の猫好きでも、きものを着ていれば嫌だと感じるでしょう。