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承認欲求の考察

承認欲求をキーワードに、人間心理や社会を考察します。

共同体の乗っ取り その2

共同体の乗っ取りに関して是非とも読んでいただきたい小説があります。オーウェルの「動物農場」です。
ネット上でも読めます。
blog.livedoor.jp

この小説はロシア革命とソビエト連邦に関する寓話として読まれることが多いですが、政権の左右を問わず、また国家に限らず、共同体の乗っ取りがいかにして行われるかという観点から読むことができ、その内容には全く古さを感じさせません。

共同体の乗っ取りの手法は、次のように分類することが可能です。
A 敵の存在の強調
B 事実認識の妨害
C 共同体の分断
D 共同体のカルト化

Aの敵の存在の強調は、敵が外部と内部の双方にあることに注意が必要です。内部の敵とは本来共同体のメンバーであった者です。
小説では動物にとって人間が敵だったのが、やがて指導者のひとりであった豚が憎むべき敵とされ、いつの間にか敵であったはずの人間達と指導者層は手を結びます。

仮想敵の存在は集団の結束を強めます。集団の結束を強める目的で敵が認定され、実際以上に手強い存在であると伝えられることは少なくありません。
敵に関する恐怖と被害妄想は、敵と戦っている(ように見える)権力者を積極的に支持する方向に働きます。
仲間割れをしていては敵につけこまれるという口実は、反対意見を封殺し決定権を集中するためにしばしば用いられます。

また指導者の失敗を、敵に目を向けさせることによってうやむやにすることもよく行われることです。
例えば森友学園問題で辻元清美議員に関するデマが取り沙汰されたのも、分かり易い敵を持ち出すことで保守の結束を図ろうとしたものであると理解できます。

Bの事実認識の妨害は、指導者層が一般の共同体メンバーに対して行うものです。
情報の隠蔽、事実の改竄、虚言の流布は、分かり易い直接的な方法です。

過去に起こった出来事の改竄も行われます。それが可能になるのは、体験を共有した者たちがお互いに事実を語り合ったり、過去の記録から確認することが困難な状況が作り出されるためです。

小説では、指導者の息のかかった羊たちが無意味にわめき立てることによって、議論の意欲を削ぎ反対意見を封殺するという手段もとられます。似たようなことをネット上の議論の場で目にしたことがある人は少なくないでしょう。

共同体のメンバーが自由に自分の考えを話せない雰囲気を作り出すことこそ、間接的でありながら強力な事実認識を妨害する方法です。

Cの共同体の分断は、特権を持つ階級と、そうではない階級に分断することです。後者は前者から仲間ではなく搾取の対象と見做されます。
階級は固定され、異なるルールが適用されます。これによって乗っ取りがごく少数によって行われたとしても、その後は特権階級に所属する者たちがその状態の維持に尽力します。

Dの共同体のカルト化は、共同体のメンバーが自分たちは正しい方向に進んでいると信じたいという気持ちを共有することです。
そこには指導者への盲信や、メンバーであることに誇りを持つこと、状況の悪化から目を背けることが含まれます。

本来ひとつであった共同体を一旦分断しておきながら、カルト化によって見かけ上は一体であると見せかけることから、CとDはセットです。

前回、共同体が分断され周縁部に追いやられると次のような行動に出る人が生じると書きました。
1 共同体から離れる人
2 分断されている事実を否定し自分の所属する共同体は良いものだと信じようとする人
3 中心部に取り入ることで自分もおいしい汁を吸おうという人
4 どうしようもないと諦める人
5 乗っ取られた共同体を自分たちの手に取り戻そうとする人

カルト化は2を促進することで、1と5を防ぐのに役立ちます。
3はカルト化の過程では指導者にとっては便利な存在ですが、特権階級の利益を分け与える必要があるため、増えすぎることは好ましくありません。

共同体のメンバーの中にはマインドコントロールに引っかからない者も存在します。小説の老ロバのような存在です。しかしカルト化した環境では、自分が事実認識を訴えてもどうせ皆には理解できず無駄だろうと考えがちになります。これが4の諦めです。

共同体のカルト化はイコール共同体の一般階級の思考放棄です。Aの敵の存在の強調による恐怖と怒り、Bの事実認識の妨害による論理的思考の困難、Cの共同体の分断による指導者層の方が優れた存在だという思い込みは、これを後押しするファクターです。

次回は共同体の乗っ取りを防ぐ方策について考察します。

共同体の乗っ取り その1

現在大きな話題となっている森友学園や加計学園の問題の核心は、行政が特定の人に対しては特別な配慮をすることにあります。
過去に注目を浴びたケースと大きく異なるのは、国家公務員が個人的に欲に眩んで便宜を図るのではなく、一般国民の知らない特権集団が形成されていた疑いがある点です。

確定申告の準備に追われながら、自分は多額の税金を納める義務がある一方で、国有地をただ同然で手に入れる人々が存在する事実について、苦々しく感じた人も少なくないことでしょう。

共同体が中心部と周縁部に分断され異なるルールが適用されることは、割と頻繁に生じる現象です。
これは国に限った話ではありません。
例えば町内会の予算で会長とその取り巻きだけで飲み食いしているとか、公募のはずが実は予め入選者が内定していたとか、しばしば耳にする話です。

多くの人は孤立を恐れ、どこかに所属している方が安心だと考えます。しかし都合が良い時のみ利用され普段は蚊帳の外に置かれるのであれば、共同体に所属することのメリットは得られません。

そのような立場に置かれれば、共同体から離れる人がいる一方で、分断されている事実を否定し自分の所属する共同体は良いものだと信じようとする人もいます。
また中心部に取り入ることで自分もおいしい汁を吸おうという人、どうしようもないとその立場に甘んじる人、一部の人々に乗っ取られた共同体を自分たちの手に取り戻そうとする人も存在します。

”我々は単に権力を政権から政権へ、党から党へ移譲するのではない。我々は権力をワシントンD.C.からあなた方、アメリカ国民へと返すのだ。
あまりにも長い間、我々の国家の首都にいる少数集団が政府の恩恵を受ける一方で、国民はその費用を負担してきた。
ワシントンは繫栄した。しかし国民はその富の分配にあずかることはなかった。”

これはトランプ大統領の就任演説の中の言葉です。(注1)
トランプ大統領登場を歓迎したアメリカ国民の多くは同様な認識があったと考えられます。
他方「私の大統領ではない」というプラカードを掲げ反対運動を続ける人々は、選挙で共同体の中枢を悪い集団に乗っ取られたと認識していると考えられます。

冒頭に述べた学園土地取得問題を通して、日本会議という保守団体が注目を集めつつあります。彼らの中には「左翼や外国人勢力に乗っ取られた日本を取り戻すのだ」という認識を持つ者も少なくありません。
しかし今回の問題を通して日本会議が日本の中枢を乗っ取っていたと認識する人も存在するでしょう。(注2)

乗っ取り犯はどちらかという認識の違いをどのように乗り越えることができるでしょうか。言い換えれば、共同体の正常な状態と乗っ取られ分断している異常な状態をどう見分ければよいのでしょうか。

次回に続きます。

(注1)こちらの就任演説日本語訳から一部引用させていただきました。
toyokeizai.net


(注2)
国会議員の4割、閣僚ポストの8割が日本会議のメンバーだという2015年の記事がありました。
gendai.ismedia.jp